旧閑谷学校と長島愛生園に自転車で行ってみた part1.旧閑谷学校編

レジャー
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どうも、izuです。

先日岡山市から旧閑谷学校と長島愛生園までサイクリングしてきました。旧閑谷学校と長島愛生園はどちらも備前市にあります。

日帰りで、岡山市→旧閑谷学校→長島愛生園→岡山市という風にサイクリングしました。順番にレポートしていこうと思います。

part1は旧閑谷学校編です。

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旧閑谷学校

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岡山駅を出たのが8時。10時半に旧閑谷学校につきました。42kmの道のりだったのでゆっくりサイクリングしました。

旧閑谷学校には駐車場がたくさんありバスも運行しています。最寄り駅であるJR山陽本線の吉永駅からは3km(徒歩40分)で上り坂(のはず)なので徒歩では大変。普通は車か最寄り駅からタクシーかバスを使うはずです。自転車で行く人なんてあまりいないでしょうね(笑)

旧閑谷学校は1670年(寛文10年)に岡山藩主池田光政によって創建された現存する世界最古の庶民のための公立学校で、1701年(元禄14年)に現在とほぼ同様の外観を持つ学校が完成したそうです。(パンフレット「特別史跡旧閑谷学校」より)

入場料は大人400円で旧閑谷学校とその資料館を見学することができました。筆者は主に講堂と資料館を見学しました。

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講堂は生徒が講義を受けた場所です。赤茶色の備前瓦屋根が目を引きます。中には入れなかったので、縁側から内部を眺めました。天井が高く広々とした講堂で磨かれた床が光を反射して綺麗でした。家が近い生徒は通学で、遠い生徒は学房に住んでここで先生の講義を聞いたそうです。

縁側に靴を脱いで上がるととても寒かったです。冬の講義はとても寒い中行われたのでしょうか、気になるところです。これだけ寒いと勉強どころではない気が、、、

 

旧閑谷学校資料館

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旧閑谷学校の学房跡には資料館がありました。

資料館では旧閑谷学校の歴史や関係した人物のことを当時の文章を通して細かく知ることができました。生徒の一日を紹介した展示もあったのですが、当時の生徒は朝起きて自習、講義の後も自習。一日中勉強していたようです!! 基本的に勉強の期間は一年。浪人して予備校に通った一年間を思い出しました。旧閑谷学校の生徒は当時の筆者より確実に勉強していたようです(笑)

そもそも当時、閑谷学校で学んでいた生徒は今のように義務教育ではなく自ら志を持って勉強していたはずですから当然といば当然です。とりあえず大学に入ろうということで浪人した筆者とはわけが違います。

この資料館、講堂と同じでとにかく寒い!!最期の方は自然と資料を見る時間が短くなってしまいました。

震えながら最期にたどり着いたのは休憩室。ここは暖房が聞いていて暖かかった。体を温めるためにしばらく休憩室に。ふと机においてあった来訪者ノートを手に取り中身をみてニヤリ。理由は実際に行って確かめてみてください!

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講堂から資料館に向かう途中の通路300年前に作られた石塀が今も綺麗に残っていました。

 

おまけ 椿山の猿

おまけとして面白いものがあったので紹介しようと思います。約400本のヤブツバキが植えられた椿山の奥には池田光政の髪・爪・歯などを収めた供養塚がありました。塚の手前にはなんの案内もないのではじめは何かよくわかりませんでした。

注目は供養塚までの両側に椿が植えられた道の途中です。椿山に入る(山といっても坂を登る必要はありません)手前に「猿がいる」という案内があったので筆者はキョロキョロしながら道を歩きました。道の向こうから帰ってくきた観光客の人に「もう猿は見つけられた?」と言われ、「まだです」と答えると親切に猿がいる方向を指差してくれました。

その猿の写真がこちら
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中央に木につかまった猿が見えませんか?

実は猿というのは本物の猿ではなく猿に見える木だったのです。本物だと思っていた筆者は驚くと主にちょっとがっかり。

この猿、山陽新聞のweb記事にもなっていました。以外に有名なんですね。

 

次の記事では長島愛生園のレポートをしていきます

岡山市から旧閑谷学校に行くまでにとった写真↓

ではまた

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